11 源河走川や 潮か湯か水か 源河めやらべたが おすでどころ
読み
ジンカハイカワヤ ウシュカユカミズィカ ジンカミヤラビタガ ウスィディドゥクル
作者
読人知らず
大意
源河の走川は潮であろうか、湯であろうか、それとも水であろうか。源河の乙女達が水浴びして美しく生まれかわる所である。
鑑賞
@源河の清流は「おすで所」としてすばらしい所であり、その水によって乙女たちは美しく生まれ変わるのである。源河の自然と乙女たちを賞美したもので、これも土地ぼめの歌である。A源河川の清らかな流れと美童を賛美した歌である。歌碑は有名な歴史学者の東恩納寛淳先生が1958年の秋に源河川を訪れた際に揮毫された書をもとに源河区が1993年に建立した。<中略>歌碑建立の話が持ち上がって20数年が立ち、その間、川の流れもずいぶんと変化が見られ、清い流れと多様な生物が住むふるさとの川は、社会状況や、生活環境の変化にともない、見るも無残な姿に変容してしまった。「山ヌハギーネー海ンハギユン」を目のあたりにしてきた。私たちはこの光景を傍観はできなかった。30数年前に東恩納寛淳先生に託された思いをきちんと受け止めようと、区民が立ち上がった。1986年に区の有志が、「源河川を昔の清流にして絶滅したアユを呼び戻す会」を結成して活動を始めた。アユがその一生をまっとうできる川が本来の源河川の姿である。源河節の本歌は歌碑に刻まれたが、その他に「源河みやらびの色美らさあしや源河走川の水の故か」ともある。これこそアユや人間にとって安心して住める環境といえるのではないだろうか。源河節の歌碑を建立するにあたり、失った自然と生き物たちを呼び戻すため行動し、ふるさとの川を誇りを持って未来へ伝えていくために区民は頑張っている。
節名
源河節(平敷節)
歌の分類・内容
土地ぼめの歌
琉歌碑
有り
ビデオ
有り
引用及び
参考文献
@高校生のための古典副読本「沖縄の文学」沖縄県高等学校障害児学校教職員組合編A「名護碑文記」 名護市史叢書・4 名護市教育委員会

琉歌鑑賞へ 目次へ 次の琉歌へ 前の琉歌へ