76 | なつかしや沖縄 戦場になとい 世間お万人と 涙ながち 涙ぬり我身や 恩納岳登てぃ お万人と共に 戦しぬじ 恩納岳下りて 伊芸ぬ村すぎて 今や屋嘉村に ゆるで泣ちゅさ あわり屋嘉村に 闇ぬ夜のカラシ 親うらん我身ぬ なかなうちゅみ 無蔵や石川村 茅ぶきぬ長屋 我身や屋嘉村ぬ 砂地まくら 心いさみゆる 四本入煙草 淋しさや月に 流ちいちゅさ 今や屋嘉村ぬ 枯木又やてん やがて花咲ゆる しちんあゆさ |
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読人知らず | |
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琉球民謡「屋嘉節」は終戦直後、金武村(現金武町)屋嘉や美里村字石川(現石川市)などの米軍の「捕虜収容所」ではやった歌である。身も心も疲れ果て、たどり着いた捕虜収容所、わが身はなんとか生き延びることができたが、家族は、愛する人はどうなっただろうか。そしてわが故里は・・・。囚われの身に不安はつのるばかりー。配給される缶詰の空缶(6斤缶)とパラシュートの紐、それに野戦用ベッドの骨板を利用して作ったカンカラー三味線にのせて「屋嘉節」を歌う時、歌う方も聞く方も涙を流したという。 | |
屋嘉節・長歌 | |
近代の琉歌・哀傷歌 | |
有り | |
有り(RBC) | |
参考文献 |
「沖縄文学碑めぐり」垣花武信・東江八十郎著 那覇出版社 |