9 謝敷板干瀬に うちやり引く波の 謝敷めやらべの 目笑ひ歯ぐち
読み
ジャジチイタビシニ ウチャイフィクナミヌ ジャジチミヤラビヌ ミワレハグチ
作者
読人知らず
大意
謝敷の海岸の板干瀬に打ち寄せては引く白波のように、謝敷の乙女たちの笑いこぼれる白い歯並の美しさよ。
鑑賞
@謝敷の自然を賛美する中に、その乙女たちの美しさをたたえた歌である。雄大な自然に人事をおり合わせ、融合した独自の趣は実にすばらしい。自然と親しく生活しているものでなければこのような歌はよめないであろう。/A謝敷の海岸には、かつて鉄板を敷きつめたような見事な岩、板干瀬が広がっていた。昔の人はその板干背に打ち寄せ砕ける白波を、若い女性の口元からこぼれる白い歯並にみたてた。「謝敷節」の里・国頭村謝敷は、辺土名と宜名真のほぼ中間に位置し、国頭の他の村落と同じように、山を瀬に海を目前に控えた小さな村落である。歌に詠まれた板干瀬は集落に北側にあり、黒く輝く板干瀬とそれに打ち寄せる白い波の対照的な美しさは、古くから歌や村芝居に取り上げられ愛されてきた。歴史家・東恩納寛淳は『南東風土記』の中で、「あたかも鉄板をしくがごとく、海水これに砕けて白雲を散らす、山北の奇勝とすべし」と称えている。ところで「謝敷節」は、謝敷の屋号「タグムイ」の娘を謳ったといわれている。そしてその娘というのは実は『真玉橋由来記』の人柱になった「七色元結」の娘で、父親と共に「タグムイ屋」に住んでいたのである。この娘も、村の娘達と同じように板干瀬で魚を下したり海草を洗ったりしていたのだが、それを首里の役人が見て声を掛けたところ、人柱になった母親から「口は災いのもと」と戒められていた娘は、それに答えずニコッとほほ笑みを返したというのである。以上が、謝敷に伝わる話で、かつては村芝居で演じられたという。古人が褒め称えた謝敷板干瀬は、先の国道整備拡張工事で埋め立てられ、ほとんどその姿を隠してしまったが、地元の人のいう゛畳を敷いたような゛なだらかな板干瀬は、二月頃の寒い日に顔をのぞかせるという。
節名
謝敷節
歌の分類・内容
土地ぼめの歌
琉歌碑
有り
ビデオ
有り
引用及び
参考文献
@高校生のための古典副読本「沖縄の文学」沖縄県高等学校障害児学校教職員組合編・A「沖縄文学碑めぐり」垣花武信・東江八十郎著那覇出版社

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