92 吾が村の風水 かれよしの渡波屋 内外も揃て 千代の栄
読み
作者
儀部真幸(キャーキ屋)
大意
鑑賞
"渡波屋六角堂の入口の左下に四首の琉歌が刻まれた「渡波屋讃歌碑」がある。ここに刻まれた歌は、昭和35(1960)年に渡波屋を整備した際、区民より広く募った70首の中から選ばれた歌で、その選には本部町の歌人仲宗根仙月も加わったという。渡波屋は屋部の風水であり、かりゆしである。ビジュル石があって、それにより吉凶を占っていたが、その石は今はなく、拝所のみが置かれている。今も10ヶ所御願の時に拝まれる重要な拝所である。白黒の煙は、旅に出る人を渡波屋で見送る人の白い煙と、見送られる人の乗る汽船の黒い煙をいう。琉球王府時代を終え、新時代を迎え船旅をする人は多くなった。紡績に行く人、海外に夢を求め雄飛する青年・・・。そのたびに見送る人はここで白い煙を炊いた。渡波屋整備のために多額の金を屋部区に献じた比嘉徳元翁もここから見送られた1人である。屋部は東・北・西の三方の丘陵を背にし、南に開いた土地で、東西の屋部川が名護湾に豊かに流れ込む。その先に渡波屋が立っており、屋部のシマをここから眺望することができる。濃い緑の福木の屋敷林とうす緑の水田。東と西の屋部川の水の色。嘉津宇岳、八重岳。そして広がる青空。南に転ずれば、おだやかな名護湾、水平線が空へとつながる眺め。渡波屋は屋部の人にとっては、拝所であり、別離を惜しむ所であり
節名
渡波屋讃歌碑@
歌の分類・内容
土地ぼめの歌 近代の琉歌
琉歌碑
有り 
ビデオ
無し
引用及び
参考文献
「名護碑文記」 名護市史叢書・4 名護市教育委員会

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