98 | 二見美童や だんじゅ肝清らさ 海山の眺め 他所に勝てヨ 二見村嫁や ないぶさやあしが 辺野古崎坂の 上い下いヨ 待ちかねて居たる 首里上いやしが 出発ちゅる際や 別れぐりさヨ 行かい行じ来よと 交わすいくとばや ぬがし肝内に 思い残ちヨ 戦場の哀れ 何時か忘りゆら 忘りがたさや 花の二見ヨ |
フタミミヤラアビヤ ダンジュチムジュラサ ウミヤマヌナガミ ユスニマサティヨ・・・・・・ | |
照屋朝敏 | |
二見部落の娘さん達は,こころ清らかで,姿形も美しい。そして又,二見の山や海の自然も豊かなところである。 | |
二見の集落は,沖縄本島北部の東海岸にある大浦湾に面し,1927年(昭和2年)に大浦から分かれて出来た山あいの静かで小さな屋取集落である。この歌は,歌詞やメロディーとも歌いやすく,名護市の桜祭りでは「二見情話大会」も催されるなど広く愛唱され,山原の小さな山あいの里「二見」を一躍有名にした。この小さな集落に,去る大戦中には,中南部からの多くの避難民が身を寄せ,明日をも知れない不安な日々を送っていた。その数は五千人にも達したことがあるという。終戦となり,避難民の帰村が始まった昭和20年の暮れごろ,首里出身者で避難民でもあった当時の村長の照屋朝敏氏は,首里帰還の目途がついた日に,村の長老たちの要請を受けて「二見情話」を創作したという。平成2年7月に建立された歌碑に,作者の照屋朝敏氏は「平和祈念と二見の人々への命からなる感謝を込めたお礼のメッセージである」と,その想いを語っている。歌碑には一番から五番までの歌詞が刻まれているが,現在では男女の掛け合いで歌う恋歌として親しまれている。 | |
二見情話 | |
名所・恋の歌 近代の琉歌 | |
有り | |
有り | |
参考文献 |
「歌・三線のふる里をたずねて」沖縄市立郷土博物館 |